やじきた道中記  
宿0:神田八丁堀(かんだはっちょうぼり) <ふりだし>
八丁堀
 『栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)婚礼の図』
弥次郎兵衛(やじろべえ) 通称 弥次さん
 旅の出発時点で数え年の50歳(満49歳)
妻を亡くした独り者で能楽もの(なまけ遊んで暮らしている人)
神田の八丁堀あたりにある借家を明け渡して旅に出る
 喜多八(きたはち) 通称 喜多さん
旅の出発時点で,数え年の30歳(満29歳) 弥次さんの居候

一立斎広重『浮世道中膝栗毛滑稽双六』,恵比寿屋庄七,安政2.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1310717
有朋堂文庫はhttps://dl.ndl.go.jp/pid/991565/1/21

※ 宿場間距離目安(有朋堂文庫から)
   里=36丁=3.93km,丁=60間=0.109km,間=0.001818km
 お金:江戸時代は4 進法を使用,1 両 =4 分 =16 朱 =4000 文

 宿場:街道上にあった旅館街 旅館の数は,主に天保14年(1843)の記録
 本陣(ほんじん):宿場の中で一番格式が高い宿泊施設で,休憩のためにも使われ,大名,公家,幕府要人といった身分の高い人専門の宿
 脇本陣(わきほんじん):本陣の次に格式が高い宿泊施設 本陣の補助的宿舎で,参勤交代などで複数の大名家が同じ宿場に泊まる時,本陣の代わりに大名の宿舎になり,本陣との大きな違いは,脇本陣は大名などの利用がない場合,一般客(庶民)でも宿泊できた
 旅籠屋(はたごや):一般人の庶民が泊まる宿泊施設で,基本,1泊2食付き,6畳,8畳くらいの部屋がいくつもあり,相部屋が当たり前 本陣と違い2階建ての建物が多かった
 木賃宿(きちんやど):客が米を持参し薪代を払って米を炊いてもらう,若しくは自炊する宿で,江戸時代以前の宿は木賃宿が基本だったが,江戸中期になると庶民の生活も安定し1泊2食付きの旅籠屋がメインとなる
 
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