江戸名所花見双六
27 大師河原桃園(たいしがわらももぞの)
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梨園や桃園が多摩川の水除堤よりも川沿いに作られていた
江戸時代には専ら大師参拝客や東海道を行き交う旅人への販売が主
栽培が盛んになった寛政年間は,ちょうど川崎大師に徳川家斉が参拝して世間の評判が高まり,外部からの参拝客が増えてくる頃と一致
当時桃よりも梨の方が作付面積が多かった
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花見双六全体図